独身異常オタク(私)の将来
こんにちは、オタクが征くです。
今日はふと思ったこと、「ライブを生きがいにしている人間の将来」について考察していこうかなと思う。
というのも私も名前の通り、オタクであり、ライブが大好きで生きがいになっている。
学生の時はひたすら遊んでいて満足だったが、仕事を始めてからこれからの人生について考えることが多くなった。
今回は頭の中でぐるぐるしている考えをまとめてみる。
私はこれからどんな人生を歩んでいくんだろうか...
20代で遊び回り、30代でペースが落ちて、40代で行けなくなる
20代は一番体が健康であり、ライブ会場で体を大きく動かしたり、ライブの翌日に仕事にいけるなど、一番楽しい時期だと思う。
現に20代である私はライブをめっちゃ楽しんでいる。
30代で体にガタがき始めてライブのペースが落ち始める。
ライブの翌日は必ず休みを取らないと、仕事に支障が出始める。
必然的に2日休みになり、仕事の休み希望を出しにくくなり、回数が減る。
体力の低下により、ライブで体を大きく動かせなくなり、楽しみが大きく削がれる。
40代が寿命
体力低下もそうですが、20年もオタクやっていると流石に飽きると思う。
生きがいがなくなった私は?
オタクできなくなった私はどうなる?
前、ツイッターにも呟いたけどこうなりそうな気がする。
ふと思う事があるんだけど、我々厄介オタクはアニメコンテンツを追わなくなると(40代ぐらいになると)こういう末路を辿るのかなって pic.twitter.com/Cchs5oNB4A
— ヒロ -official- (@otaku_ga_yuku) 2022年10月12日
オタクができなくなると、オタク関係で繋がっていた人間関係も無くなる。
人との繋がりが無くなった私は人との繋がりを求めて違う界隈に入ろうとする。
それが反社会的でも。
少し前に広まった説だけど、「反ワクチン主義団体に所属している人は、人との繋がりが楽しいから所属している説」
だいぶ前に見た記事だったから、ソース見つからなかったけど、一つの価値観に同調して人同士の繋がりが結構依存性が高いとのことが書いてあったような気がする。
人間が社会的な生き物である以上、当たり前ではある。
何が生きがいになるのか
社会運動(反社会も含む)
先ほど説明した通り、団体に所属して暴れて目立つようになる未来。
仕事
あまり考えられないが、仕事が生きがいになるルートもあるかも。
まともな人間になるにはこのルートしかなさそう。
ヒューマノイドとの交流
自分が40代になる頃には人工知能が発達して、人間と遜色ないロボットができていると思う。
生の人間との交流が無くなるなら、ロボットに頼ればいい。
人生のやることは8割終わった
20代でオタク一筋している私は結婚なんてできる訳ない。(そもそもパートナーもできないだろう)
しようとも思わない。
普通の人なら結婚、新婚旅行、子供とたくさんやることがあるが、結婚しない私には縁の無い話である。
お金がかからない分、これからは家でゴロゴロしている、ライブ、仕事、これぐらいしかやることがない。
あ、あとは終活か。
ぶっちゃけ欲しいものは大体は学生時代に手に入った。
生きがいを無くしたら死んでるようなもんだ。
というより、自分の未来が40代より先が見えない。
受動的な生活に終止符を
人生を切り開いていくという気概が必要かもしれない。
自分から能動的に動いて、幸せを掴みにいく。
言葉では簡単に言えるけど、実際は非常に難しい。
最近うちの会社は実力主義になった。
上の人たちは、「上司は存在しない」「成果を出す方法は自分で考えろ」と言っている。芸能プロダクションに所属している俳優さんに捉えて説明している人もいたな...
今後、自分の働き方は俳優のような、私たちでいうと、声優のような働き方をしていかないといけない。
これからの働き方に合った考え方だと思う。それは認める。
しかし、学生の時から先生の言うことに素直に従っていた"良い子"の私には非常に居心地が悪い。
何をしたらいいかわからない。と言うより、自分の行いに責任を持つことが怖い。
上の言うことを思考停止しながら素直に従っていた方が幸せだったんじゃないかと思うこの頃。
その方が、失敗した時上司の責任にできるから、私は悪くないと言い訳できる。
でもこの価値観だと幸せへの道は遠ざかるってことも理解している。
霞んで見える自分の未来
「自発的に人生を歩めるか」これに全てかかっていると思う。
思考を止めてなんとなく生きていける時代はもう終わった。
仕事に失敗したら上司や会社のせい、人生に失敗したら社会のせい、他責で生きていける時代だったら、なんと心地のいいものだろうか。